実は以前にも、「広東語はどんな言語か」というテーマで記事を書きました。しかし、また最近よく、「広東語ってどんな言葉?」と聞かれるので、もう一度、分かりやすくまとめておきたいと思います。
広東語は中国の一方言
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中国は多民族国家です。中国には13億以上の人が暮らしています。そのほとんどは「漢民族」と呼ばれる人たちですが、それ以外に55の少数民族が暮らしています。
少数民族の人たちはそれぞれみんな独自の言語を持っています。ですから、中国に住む人みんなが、中国語を話しているかというとそうではありません。
一口に中国語と言っても、中国は国土が広いので、地方ごとの方言も大変差が激しいです。中国には多くの方言があり、有名なものは、上海語、台湾語、福建語、南京語などがあります。
数ある方言の中でも、もっとも大きな方言と言われるのが「広東語」です。
広東省、香港などで話される広東語
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広東語は、主に中国本土の広東省とその周辺と香港、世界中いたるところにあるチャイナタウンで話されています。
世界に散らばる華僑の中には、広東省や福建省出身の人が多いので広東語話者もたくさんいます。
広東語と言っても、話される場所によって、若干アクセントや語彙の面で違いがあります。
「中国語=普通話」は中国の標準語
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広東語とよく比較されるのが「北京語」です。英語のネイティブにも、中国語「Chinese」と言えば、北京語「Mandarine」と広東語「Cantonese」の2種類があることはよく知られています。
英語では「北京語=Mandarine」と表現されますが、北京語も、もともとは中国北京地方の一方言でした。
中国には、中国政府によって、中国人が方言を超えて、お互いに意思疎通しやすいように作られた標準語=「普通話」があります。私たちが一般的に「中国語」と呼んでいるのは、この標準語、つまり「普通話」のことです。この「普通話」は中国国内や台湾などでは、「国語」と呼ばれることもあります。
この「普通話」=「国語」は、北京地方の方言だった「北京語」をもとにして作られているので、英語では「Mandarine」と呼ばれます。
広東語は「話し言葉」
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ここが一番日本人として理解しにくい点なのですが、広東語は「話し言葉」だという点が、大きな特徴です。
「話し言葉」というのは、日本人にとっては、少し理解しにくい概念です。詳しくは、「広東語は話し言葉って、一体どういう意味?」をご覧ください。
失われつつある広東語
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広東語は、中国の数ある方言のなかの一つにすぎません。しかし、標準の北京語に比べると、その差異は大変大きく、ほとんど別の言語として扱うほうが現実的です。
そんな中、香港には広東語が将来、死語になるのではないかと恐れている文化人がいます。
それは、中国の北京語(普通話)教育に問題があります。
1997年に香港が中国に返還されて以来、中国はじわじわと香港の中国化を浸透させようとしています。選挙法に関しても、最近頻繁に香港でデモが行なわれていることは、日本でも報道されています。
学校教育に関しても、返還以来、中国政府は香港政府に対して、北京語(普通話)の学校教育での普及を推進してきました。学校教育で、北京語(普通話)を「国語」として教育するという政策です。
最近では、香港の60%以上の小学校で、北京語(普通話)が「国語」として教育されていると聞きます。
学校教育の中で、どの言語で教育を受けるかというのは、その人の言語能力の発達に対する影響はとても大きいものです。北京語を国語として教育される学校の子供たちは、家庭では広東語を話していても、学校で先生や友達とは北京語で会話するようになります。
この方法は広東省でも、随分以前から行われているようです。実際に、広東省の小学生くらいの子供の中には、広東語は聞いて理解できるが、話せない子供が増えているようです。
今後の広東語の行方
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広東語を失わせないように活動をする文化人が、香港にはいます。広東語が一方言であることを考えると、広東語が消えるというのは日本で言うと大阪弁が消えるということに等しいのかもしれません。
関西出身の私としては、大阪弁が消えてなくなるということはにわかに信じられませんが、日本でも多くの方言が失われてきましたし、今も失われつつあるといってよいでしょう。
しかし、言葉は文化です。言語の多様性を保つためにも、広東語は不滅であってほしいと願います。