広東語は香港および中国の広東省で話されている言語です。しかし、最近では、広州などを中心とした大都市の子どもたちで、広東語を理解できない、あるいは「聞いて理解できるが話せない」子供たちが増えているといいます。
この現象のために香港の知識人の中には、広東語が消滅してしまうのではないかと心配する声も上がっています。
中国政府が認める標準語「普通話」
まず、中国の言語環境についてさらっとまとめておきます。
中国は国土も広く、漢民族以外に多くの少数民族も住んでいます。彼ら少数民族の言語、そして各地の方言の間にはかなりの隔たりがあるので、中国人同士であっても言語による意思疎通は困難でした。
そのために、中国政府が打ち出したのが「普通話」という公用語です。普通話は北京地方の方言であった「北京語」をもとに作られていますので「北京語(Mandarin)」とも呼ばれます。
中国には方言がたくさんありますが、中でも大きな方言として有名なのが広東語です。広東語は広東省や香港で広く話されています。香港はさておき、中国本土の広東省では以前から普通話による教育が推進されていました。
それを如実に表しているのが「廃廣推普」というスローガンです。そのまま訳すると「廣(広東語)」を「廃止」して「普(普通話)」を「推進」する、という意味になります。
香港でも普通語による教育が普及
1997年、香港は中国に返還されました。その後、じわじわと中国政府による香港の「中国化」政策が段階的に行われています。
香港の学校教育においても、中国中央政府は2008年より「普通話」で教育する「普教中」を推進しています。「普教中」とは「普(普通話)」を用いて「中(中国語科授業)」を「教える」という意味です。広東語を使わず普通語のみを用いて国語(中文科)の授業を行うということを指しています。
現在香港では、7割以上の小学校と4割以上の中学校においてこの「普教中」が行われています。さらに他の学校では、成績が良い生徒のクラスでのみ「普教中」が実施されている学校もあります。また、多くの幼稚園でさえ普通話による教育が行われています。
香港では中国政府の政策である「普教中」に反対する活動が、早い段階から起こっていました。彼らはこう主張します「香港人は広東語を話すべきである」。
香港人の彼らは広州で起こっている現実を見ているので、広東語が失われることに対する危機感が強いのです。
広州市では
広東語の発祥地だとされる広州では、すでにほとんどの学校で普通話による教育が行われています。ほとんどの児童や教師が現地(広州市)の出身にもかかわらずです。
子どもの親たちは、子どもが早く普通話を身に付けることを願っているので、家庭でも広東語を使わず普通話で子供に話しかける親が多いといいます。
すでに広州では、広東語を話せないか、聞いても全く理解できない子供たちが増えています。広州市に行って、小さな子供に広東語で話しかけても理解できない子どもは実際にたくさんいます。広東語でなく普通話で話しかけると、彼らはちゃんと反応してくれます。
「普教中」の与える影響とは
学校で普通話によって授業を受けることは、バイリンガルの子供を育てることになり有意義だとする意見もあります。クラスで発言する時や教師、クラスメイトと交流する時に、生徒は普通語と広東語の言語を自由に選択して交流することができる、と彼らは主張します。
しかし、現実は少々異なるようです。
普通話による国語教育を受けた子どもたちは、教師やほかの子どもと交流する際に広東語を話そうとしません。なぜなら、間違った広東語を話して、クラスメイトに馬鹿にされたくないからです。彼らは、すでに普通話を話す時の方がストレスなく話せるのです。
子どもたちの親の反応は
子どもたちが普通話における教育を受けることについて、かれらの両親の中には歓迎すべきと考える人が多いといいます。それは、学校教育の中で一つでも多くの言語を身に付けるほうが、将来その子のためになるという考えがあるからです。現実に子どもたちが社会に出たとき、普通話が流ちょうに話せることは就職の際に有利になります。
そもそも香港は広東語と英語のバイリンガルの都市です。そこに普通話教育が加われば、もうひとつ言語技術を身に付けることができる、なんてすばらしいんだろう、と単純に考えてしまうかもしれません。
しかし、実際は、普通話を身に付けることは、もともとある広東語が普通話に置き換わることにすぎません。必ずしも、「3つの言語を自由に操れる」というわけではないのです。
普通話と広東語のヒエラルキー
学校教育における普通話の推進は、普通話と広東語の上下関係を示唆しています。
学校の中では普通話を話し、家庭では広東語を話すという状況では、子どもだけでなく大人も含めて「普通語の方が自分の母国語である広東語よりも優れている」と勘違いしてしまう可能性があります。結果、自分の母国語を卑下してしまう、感じる必要のない劣等感を感じてしまうのです。
言語はアイデンティティと深くかかわっています。自分の母国語に対して劣等感を感じながら成長した子供たちは、結果的に自分自身や両親の生まれ育ちに対して劣等感を感じるリスクを持っています。これは果たして健全なことなのでしょうか。
広東語は本当に中国の一方言なのか?
中国語ネイティブでない私たちから見れば、広東語は中国の一方言として存在しています。しかしこうなると、広東語は本当に中国語の一方言に過ぎないのか、という疑問さえ浮かんできます。
少し広東語をかじった人ならわかると思いますが、広東語と北京語は大きく隔たっています。
現実社会で広東語で書かれた重要文書や政府の公文書が存在しないから、広東語は一つの方言として片づけられているのかもしれません。しかし、今の香港の若者がファイスブックなどのSNSに書くメッセージは広東語ですし、広東語で小説や散文を書くことも可能です。
香港で「普教中」反対の活動を行っている若者たちは、中国中央政府公式掲示板に「広東語は中国語の一方言である」というスローガンが表示されているのを見て猛抗議したといいます。結果、その表記は削除されました。
言語と文化
中国の少数民族に「満州族」という人たちがいます。現在中国には約1000万人の満州族がいるといわれていますが、その中で満州語(満文)を正しく話せるのは、5人もいないそうです。彼らは、知らず知らずのうちに言語を喪失してしまいました。
普段あまり意識されませんが、日本だって完全な単一民族国家ではありません。アイヌ民族や琉球民族がいます。しかし同様に、彼らの言語は縮小されてきた歴史があります。
言語は、単なる意思疎通のためのツールではありません。言語は、文化であり、歴史、生活、そして思考です。広東語が失われることは、ゆくゆくは広東文化が失われることに等しいのではないでしょうか。